自動化が奪っているのは時間ではなく達成感かも。

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便利になったはずなのに、なぜか物足りない・・・。

AIに文章の下書きを頼み、数秒で、それっぽい構成が出てくる。

家電は勝手に温度を調整し、アプリは予定を整理し、検索は答えに近いものを最初から出してくれる。

昔なら面倒だったことが、いまはかなりの速度で片づいてしまう。

それ自体はありがたいことには変わりない。

ただ、少し変な感覚もあって、楽になったはずなのに、終わった後、手応えがあまり残らない。

AIが作った文章を少し手直して提出する。

内容自体は悪くないし、むしろ、自分でゼロから書くより整っているうえ、着眼点に感心させらることもしばしば。

でも画面を閉じたあと、「仕事したな」という感じが薄い。

疲れていないのに、満たされてもいない。

この感覚は怠けているからというわけでもなく、便利さが増えたことで、仕事の中にあった小さな手応えまで一緒に削られているような感じ。

「自分でやった感」が薄くなる瞬間

仕事には、成果物とは別に「自分で進めた感覚」がある。

  • うまく言葉が出てこない時間
  • いくつか案を捨てる時間
  • 一回失敗して、別のやり方を試す時間
  • 少しずつ形が見えてくる時間

効率だけを考えると、かなり無駄に見える時間だったりするが、そういう時間があるからこそ「これは自分がやった」という感覚が残る。

自動化は、その途中経過をきれいにすっ飛ばしてくれる。

  • 迷わなくていい
  • 調べなくていい
  • 最初のたたき台を作らなくていい

その代わり、仕事の中で自分が関わった部分がどんどん薄くなるし、無味乾燥なものになりがち。

微修正、確認、承認、調整。

これらは、AIと作業するうえで必要な作業ではあるし、ある意味、そこで人としての価値観を出しやすい。

でも、それだけが続くと、人はだんだん「自分は何をしているんだっけ」という感じになってくる。

当然ながら、AIが悪いという話ではないし、むしろAIはかなり優秀になったからこそ、人間側の手応えが奪われてしまっている。

効率化は、試行錯誤も一緒に削ってしまう

効率化は、基本的に「迷い」を減らす方向に進む。

  • 最短ルートを出す
  • 最適な文面を出す
  • 一番よさそうな選択肢を並べる
  • 失敗しにくい方法を示す

仕事でも生活でも、これは大いに助かることだし、毎日すべてを自力で対処しようとすると、作業効率は一気に悪くなるはずだし、まず普通にしんどい。

ただ、迷いが減ることと、納得感が増えることはイコールにはならない。

むしろ、少し迷ったからこそ納得できることがあるし、遠回りしたからこそ、身につくことがある。

一度うまくいかなかったからこそ、次に選べるようになるし、間違いから学んだことは知識として残りやすい。

自動化が進むと、この「試して、外して、戻る」時間が減り、楽になる一方で、自分の判断が育つ場面も減っていく。

気づけば、答えは出せるのに、判断した実感がないから、また同じようなことをAIに聞いていたりする。

成果物はあるのに、経験が残っていないのだ。

これが、便利なのに物足りない理由のひとつだと思う。

人間の介在価値は最後の微修正だけなのか?

AIや自動化ツールを使う仕事では、人間の役割が「最後に整える人」になりやすいし、そこが重要な部分でもある。

  • AIが出したものをチェックする
  • 不自然な表現を直す
  • 社内事情に合わせる
  • 相手に失礼がないように調整する

これはとても大事な仕事で、その人がその人たる理由を付け加えてくれる。

でも、それだけだと少し寂しいことでもある。

自分の仕事が、いつの間にか「機械が作ったものの後始末」になっている感じがするのだ。

  • 主役ではなく、監修者
  • 作り手ではなく、承認者
  • 考える人ではなく、確認する人

そのポジションに慣れてしまうと、仕事の熱量は下がりやすいし、より多くの作業をこなすことになる。

人は、ただ正解に近いものを出したいだけではないとは思う。

自分なりに考えたかったり、少し工夫したかったり、失敗も含めて関わりたかったりする。

効率化の話では、ここがごっそり抜け落ちやすい。

「何分短縮できたか」「何件処理できた」「どれだけコストを下げられたか」

そういう数字は見えやすいし、行った仕事の密度を上げてくれる。

でも、「自分でやった感じがどれくらい残っているか」は測りにくい。

あえて残す不便さが、仕事の熱量を守ることもある

これからの働き方で大事になるのは、自動化するかしないかの二択ではない気がしていて、どこを自動化して、どこまでを自分に残すかになってくる。

情報収集はAIに手伝ってもらうが、その最初の問いは自分で立てる。

文章のたたき台はAIに出してもらうが、結論の温度や言葉の癖は自分で決める。

定型作業はツールに任せつつ、判断の理由は自分の中で言語化する。

全部を手作業に戻す必要はない。

ただ、何でも自動化すればいいわけでもない。

不便さの中には、単なるムダではなく、自分の力を向上させる学びがある。

  • 考える力
  • 試す力
  • 自分の癖が出る作業
  • 「自分が選んだ」と思える意思決定

仕事のやる気は、意外とそういうところから生まれているのではないだろうか?

自動化時代のやる気は、どこから生まれるのか

自動化は、これからも進んでいくだろうし、文章も、資料も、予定管理も、買い物も、家事も、かなりの部分が先回りされていく。

その流れ自体を止めるのは難しいし、便利なものは、やっぱり使われるし、自分も使っていくだろう。

ただ、その中で人間が感じる物足りなさも増えていくはずだし、

「楽になったのに、なぜか楽しくない」
「早く終わるのに、達成感がない」
「正解っぽいものは出せるのに、自分の仕事という感じがしない」

そういう感覚は、贅沢な悩みのように思えるが、働く人にとってはかなり根っこの問題にもなる。

人は、ただタスクを処理するためだけに働いているわけではないし、自分が関わった実感や、少し前よりできるようになったという成長感覚が欲しい。

自動化が奪っているのは、時間ではなく、時間を短縮する過程において、達成感や試行錯誤まで一緒に削っている。

だからこれからは、便利さを疑うというより、便利さとの距離を選ぶことが必要になる。

どこまで任せるか?
どこから自分で考えるか?
どの不便さなら残してもいいか?

その線引きが、仕事の手応えを守る小さな技術になっていきそうな気がする。

全部を効率化した先に、必ずいい気分が待っているわけではないし、少し手間がかかることで、自分の仕事になることもある。


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