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  • 「カゴに入れる」という決断の重さ

    「カゴに入れる」という決断の重さ

    自動ドアが開くと、かつては少しだけ気分の高揚する場所だったはず。

    並ぶ青果、惣菜の匂い、BGM。

    しかし最近、スーパーの入り口で一瞬、足がすくむような感覚を覚える人が増えているという。

    「また上がっているかもしれない」
    「こっちのメーカーの方が数円安いだろうか」

    私たちは今、買い物そのものに、目に見えない疲労感を抱え始めている。

    計算機を回し続ける脳内

    かつての買い物は、もっと直感的で「今夜はカレーにしよう」と思えば、肉と野菜をカゴに放り込み、少し贅沢をして、福神漬けのちょっと良いやつを選んだり・・・。

    たったそれだけのイベントだったはず。

    それが今や、棚の前に立つたびに脳内で小さな文字盤が高速で回転し始める。

    • 先週は198円だったのに、228円になっている・・・
    • 内容量が20g減っているし、実質的なグラム単価は・・・

    私たちはいつから、スーパーの通路でこれほど高度な算数を強いられるようになったのだろう。

    1円でも安い方を掴み取るための集中力は、仕事終わりの疲れた頭にはあまりにも重い。

    奪われた「なんとなく」の自由

    「値上げ疲れ」という言葉を耳にするようになって久しい。

    でも、本当に疲れているのは財布の中身だけではなく、摩耗しているのは、私たちが「考えること」。

    お気に入りのドレッシング、いつも買っていた食パン、ちょっとした間食のチョコレート。

    これまで「なんとなく」で選べていた日常の定番たちが、すべて「本当に今、これを買うべきか?」という審判の場に立たされる。

    選択肢が多いことは豊かさの象徴だったはずなのに、今ではその一つひとつが、私たちの意思決定のエネルギーを削ぎ落としていく。

    いまではかつての1.5倍から2倍くらいの値段になっていることに驚き、かつてはレシートなんて見向きもしなかったものが、毎度毎度しっかりとみるようになった・・・。

    値札を見るという現代の仕草

    ふと周囲を見渡すと、皆、同じような目をしていることに気づく。

    スマホで熱心にクーポンを探す人、プライベートブランドの棚の前でじっとフリーズしている人、一度掴んだ商品をそっと元の場所に戻す人。

    私たちは今、かつてないほど「値札」と対話しているのではないだろうか?

    商品を吟味しているというよりは、数字に圧倒されている感じ。

    SNSを見れば「スーパーに行くだけでHPがゼロになる」という呟きが、静かに共感を集めていて、それは、ただの愚痴というよりも、現代人が共有する小さな、しかし確実な生活のすり減りの告白のよう。

    楽しかったスーパーのぶらりが、ちっとも楽しくなくなっているのだ。

    カゴの中身をレジ袋に詰め替えながら、ふと思う。

    私たちはただ、今日の夕飯の材料を買いに来ただけなのに、まるで一つの大きなプロジェクトを終えたかのような疲労感が肩にのしかかっている。

    エコバッグを肩にかけ、スーパーの自動ドアを出る。

    夕暮れの風に吹かれながら、明日の夜もまた、あの棚の前で数字とにらめっこする自分を想像して、少しだけため息を飲み込んだ。