駅のホームで、AIグラスをかけた人を見かけた。
レンズは少し厚めで、フレームの端には小さなカメラらしきものが見える。
いわゆる未来的なデザインというより、普通のメガネに少しだけ機能が足されたような見た目だった。
別に変なことではない。
むしろ数年後には当たり前になっているかもしれない。
それなのに、なぜか一瞬だけ目をそらしてしまった。
便利そうだな、ではなく、「あ、AIグラスだ」が先に来て、自分でも少し不思議な反応だった。
「何ができるか」より「何を見ているのか」が気になる
AIグラスの機能だけを見ると、かなり魅力的だ。
視界に情報を表示したり、音声で操作したり、リアルタイム翻訳をしたり。
スマートフォンを取り出す回数が減る未来は、たしかに便利そうに見える。
実際、ガジェット好きなら一度は触ってみたいと思うはず。
ただ、街で見かけたときに最初に浮かぶのは性能ではない。
「この人はいま何を見ているんだろう」
そんな感覚のほうが先に立つ。これは少し面白い。
新しいテクノロジーが登場するとき、人は機能そのものよりも、まず他人との関係がどう変わるかを気にする。
AIグラスへの反応も、案外そこに近いのかもしれない。
カフェで隣にいたら少しだけ落ち着かない理由
たとえば昼休みのカフェ。
隣の席の人がAIグラスをかけていたとする。
別に何もされていないし、話しかけられるわけでもない。
それでも、なんとなくスマホの画面を少し傾けたり、座る向きを変えたりしたくなる気がする・・・。
録画されている証拠があるわけでもない。
「もしかしたら映っているかもしれない」という可能性だけで、人の行動は少し変わる。
現代人はすでに監視カメラやスマホのカメラに囲まれている。
それでもAIグラスが少し違って見えるのは、カメラが人の顔と一体化しているからだろう。
視線とレンズの向きが重なるからこそ、見られている感覚が強くなる。
実際に撮影されているかどうかとは別の話だが。
使う人と周囲の人で体験がまったく違う
AIグラスの面白いところは、使う本人と周囲の人で見えている世界がまるで違うこと。
かけている人は便利さを体験しており、情報が手元ではなく視界に現れ、検索や翻訳が自然にできる。
一方で周囲の人は、その体験の中身が一切わからない。
- ナビを見ているのか
- 翻訳を使っているのか
- 録画しているのか
- それとも何もしていないのか
外からは判断できない。
この「わからなさ」が、ちょっとした居心地の悪さを生む。
思い返せば、AirPodsが出始めた頃にも似た空気があった。
独り言を言っているように見えたり、話しかけても気づいてもらえなかったり・・・。
あの頃は「何をしているかわからない人」が急に増えた感覚があったものだが、AIグラスは、その次の段階なのかもしれない。
AIグラスは技術の問題というより空気の問題かもしれない
AIグラスについて語られるとき、性能や価格の話は多いが、普及を左右するのは、意外とそういう話ではない気もする。
問題は「社会がそれを自然なものとして受け入れるか」ということで、技術は完成していても、世の中の空気が追いついていないことはよくある。
- キャッシュレス決済もそうだった。
- スマホ決済もそうだった。
- テレワークもそうだった。
便利さだけでは普及しない。
周囲が違和感を持たなくなって初めて、日常に溶け込むわけで、AIグラスもいまは、その途中段階にいるように見える。
「欲しい」と「日常で使える」のあいだ
新しいガジェットが好きな人ほど、この感覚はわかるかもしれない。
製品紹介を見ていると欲しくなる。
でも購入したあと、実際に友達と会う日にかけていくかと言われると少し迷う。
「それカメラ付いてるの?」
そう聞かれたときの空気まで想像してしまうからだ。
技術的には問題がなくても、社会的にはまだ説明が必要な段階。
そのギャップがある。
そして、そのギャップこそが普及前夜のテクノロジーらしさでもある。
慣れが解決するものと、残り続けるもの
おそらく数年後には、AIグラスを見ても何も感じなくなる人が増えていくはず。
スマートフォンも、ワイヤレスイヤホンも、最初はどこか奇妙だった。
でも人は驚くほど早く慣れる。
ただ、AIグラスの場合は少しだけ違う部分もあるような気がして、その違和感は「見る」と「記録する」が同じ場所にあること。
人間は昔から視線に敏感だった。
だからAIグラスへの違和感は、単なる新製品への警戒心だけではないのかもしれない。
駅のホームで目をそらしたあの感覚も、おそらく同じところから来ているような気がする。
便利さへの期待と、説明しにくい居心地の悪さ。
どちらかが正しいわけではない。
ただ今は、その両方が同じくらいの重さで存在している時期なのだと思う。


