草案を開くと、以前よりずっと分厚い文章が並んでいる。
AIに記事の下書きを頼むようになってから、出てくる分量はこれまでの三倍以上になり、その内容も、自分一人で書いていた頃より濃いことが多い(悔しいことだが)。
だから最初の数日は、素直に「楽になった」と感じていたし、こんなに楽になって質の高いことができていいんだろうか?なんて思ったりもした。
でも、その感覚は三日で消えた。
理由ははっきりしていて、これまで自分一人でこなしていた作業量が、AIの参加により一気に増え、そのAIの作業量が自分の判断量をはるかに上回っているからだ。
ライターとして自分の手で書いていた頃は、書く作業そのものに時間がかかる代わりに、調べたのも自分なわけだから書き終えれば一区切りつけることができた。
すべてが同じ流れで動いていたので、始まりと終わりがわかりやすかった。
しかし今は、下書きを受け取ってからが本番になるわけで、事実に間違いがないか確かめ、AIっぽい言い回しを削り、文章の調子を整える。
以前より濃い内容を三倍読むということは、以前より濃い判断を三倍下すということでもある。
役割も大きく変わり、全て自分でやっていたものが、草案を書くのがAI、それを確かめて直すのが自分になった。
普通に考えて、全部一人でやっていたもののうち、草案を考えなくてよくなるわけだから、楽になるはずだったが・・・。
ライターから編集者への切り替わりは意識して選んだわけではなく、気づけばそうなっていた。
判断の回数が増えるのは当然だとしても、厄介なのはそこではなく、ハルシネーションのチェックが、いつの間にか大きくなっていることだった。
最初「AIは間違わない」という前提で接していたところ、驚くような嘘情報を平気で出してくることに気づいた。
それを指摘すると平然と「ああ、そうでした。それは間違いでした」と開き直ってくるうえ、その次も同じようなことをする。
AIとの作業においては、確認という一番大事な工程が重くのしかかってくる。
時短のために導入したはずの仕組みが、時短の名目のまま別の負荷を生みだし、人間の脳を酷使し始める。
そもそも、AIに任せてすんなり終わる作業がないわけではない。
アイディア出しや一回きりの草案づくりまでならむしろ早く片づくといってもいい。
苦労するのは、それを毎日続けたときだ。
同じ切り口を求め続けると、AIは同じような答えを繰り返すし、違う視点を自分から持ち込まなければ、出てくるものが均質になっていく。
一回で終わる作業と、日々積み重ねる作業とでは、AIとの付き合い方がまるで別物になる。
一日の作業量が三倍になったという言い方は、比喩ではなく実感に近い。
以前なら一区切りついたところで休憩を挟めたが、今はその区切りがなくなり、終始AIに煽られているといってもいい。
草案が途切れず出てくるので、確認の手を止めるわけにいかないのだ。
1単体の作業であれば、それは時短できているといってもいい。
しかし現実は、1日の作業量が増えるだけだから、人間に「楽」は生まれてこない。
「時短」という言葉が指しているのは、あくまで一つの作業にかかる時間の話であって、一日の総量や休憩の有無までは保証していない。
草案を開くたびに感じていた「早くなった」という手応えは、今も嘘ではない。
しかし、毎日の継続ともなると、AIに作業を依頼しておいたほうの人間側が「作業」させられているという感覚になってくる。
「確認」という新しい仕事は、想像以上に脳を疲弊させる。


