プロンプトを保存するとき、何度も「完全版」や「final」という名前を付けてきた。
そのときは本気で「これで仕事が楽になる」と思っていたし、ようやく形になったという達成感もあり、一区切りついた気持ちになったもの。
だから「完成版」という名前に迷いはなかった。
ところが、そのプロンプトを何度か使っていると、不思議なことが起きる。
最初は満足していたはずなのに、使うたびに気になる点が増えて「もう少し良くできるのではないか」という感覚が生まれ、結局AIに検証してもらい、最適化を始める。
そして新しいコピーを作り、また修正する。
いったいいくつのバージョンを作ってきただろう・・・。
以前は、この繰り返しを「最初の完成度が低かったから」だと思っていたけど、今は少し違う見方をしている。
そもそも「完成版」という名前は、本当に完成したことを意味していたのだろうか?
振り返ると、「ここで一度終わりにしよう」という区切りを付けるための名前だったように思う。
完成を宣言しなければ、いつまでも細部を直し続けてしまう。
だから「完成版」という言葉で、自分に作業終了を言い聞かせていたのかもしれない。
しかし、実際に価値が見えてくるのは、その後だった。
何回か使って初めて、どこで引っかかるのか、どこが足りないのかが分かってくるし、机の上で考えているだけでは見えなかった改善点が、運用を通じて浮かび上がってくる。
そしてAIの世界では、その前提すら変わり続ける。
モデルは更新され、得意な表現も変わるし、その進化はもはや止まることを知らない。
以前はうまく動かなかった書き方が有効になることもあれば、その逆もある。
そもそもAIが進化しているのだから、プロンプトだけは変わらないというほうが不自然なのだ。
だから今は、「完成版」という名前を以前ほど信用しなくなった。
完成はゴールではなく、運用を始めるためのスタート地点なのだと思う。
プロンプトを作った瞬間よりも、何度か使って見直した後のほうが価値は高いことが多い。
もし過去に「完成版」と付けたファイルをそのまま眠らせているなら、それは古くなった成果物ではなく、次に育てる素材なのかもしれない。
「現代人の違和感を整理するサイト」
現代人の説明しにくい違和感を、整理して言語化する。

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