効率化の代償は、選ぶワクワクだったのかもしれない

ショッピング風景

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昔の買い物には、今思うとかなり無駄が多かった。

  • レビューを何十件も読む
  • 店を何軒も回る。

比較サイトを見ているうちに何を買いたかったのか分からなくなる。

効率だけで考えれば、あまり褒められた行動ではなかったからこそ、AIの登場は理想的だった。

  • 予算を伝える
  • 用途を伝える
  • 条件を伝える

すると数秒で「あなたにはこれです」と候補が出てくる。

昔なら数時間かかった作業が数十秒で終わり、合理的に考えれば、これ以上ない進歩だ。

なのに、少し不思議なことが起きていて、買い物はラクになったはずなのに、以前ほど楽しくないのである。


失敗したくない。

これは今の消費者心理を説明する大きなキーワードだと思う。

  • 物価は上がる
  • 使えるお金は限られる
  • SNSでは誰かの失敗談が大量に流れてくる

だからこそ「一番評価が高いもの」を選ぶ。

レビュー4.8。ベストバイ。AI推奨。

選択の理由も説明しやすいし、もし失敗しても「みんなが良いと言っていたから」という保険がある。

これでは、自分で選ぶというより、失敗の責任を分散している感覚に近い。

しかし、とても合理的な行動だ。

ただ、その合理性の中で少しずつ失われているものもある。


もともと買い物は、商品を手に入れる行為だけではなく、探す時間そのものが体験だったはず。

たまたま見つけた店、誰も知らないブランド。

レビューは少ないけれど妙に気になる商品。

本来の目的とは違うものを買ってしまう寄り道。

そういう遠回りの中に、小さな興奮があり「見つけた」という感覚は意外と重要だったのかもしれない。

なぜなら人は結果だけで満足しているわけではなく、発見した過程にも楽しみがあるから。


AIは選択コストを劇的に下げ「比較しなくていい」「調べなくていい」「迷わなくていい」という労力から解放してくれた。

しかし見方を変えると、それは発見コストまで削ったとも言える。

  • 本屋で偶然知らない本に出会う。
  • 中古ショップで予想外の掘り出し物を見つける。
  • 動画サイトを目的なく漂う。

そうした「何が見つかるか分からない時間」は、効率化の観点では無駄とも言えるが、人間は昔から、その無駄の中で楽しさを感じてきたはず。

それは、宝探しに近い。

宝が欲しいだけなら誰かに場所を教えてもらえばいいが、それでも自分で探したくなる。

面倒なのに、非効率なのに、でも楽しい。


最近のAIは、かなり高い確率で正解に近いものを提示してくれるから、選択そのものは簡単になる。

一方で、自分の好みを発見する機会は減っていく。

というのも好みは、最初から分かっているものではないし、いろいろ失敗して、予想外のものに触れ、寄り道を繰り返してからこそ、結果として形成されていく。

最適化は「今の好み」には強いが、「まだ知らない好み」を見つけることには向いていない。


もしかすると今後は、何を選ぶかより、どこまで効率化するかが新しい選択になるのかもしれない。

全部AIに任せる、それも一つの正解だろうし、忙しい日常では助かる場面も多い。

ただ、ときにはレビューを閉じて、AIに聞かずに店を歩いてみる。

目的もなくネットショップをブラブラと眺めてみる。

そんな時間は非効率そのものといってもいい。

しかし、人間が感じる楽しさの一部は、もともと非効率の中にあった。

失敗を減らすために生まれた技術が、発見の喜びまで消してしまう。

その矛盾が、最近の買い物にどこか物足りなさを感じる理由なのかもしれない。

最適解を手に入れることと、自分だけの「これだ」を見つけること。

その二つは似ているようで、案外別の体験なのだ。

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